前回は私の二女を乳児院に一時保護をしていただいた話を書きました。今回はそこで見た乳児院・児童養護施設の現実を書きたいと思います。
お迎えが来ない子・・・
二女を預けた部屋は乳児のみ。娘のほかに二人の乳児がいました。初めて面会に行った日に施設の方が言いました。『この子たちはお迎えが来ないのよ』娘より月齢は少し大きめ。ベットで眠る二人の乳児はここで育つことが決まっているそうです。
保育園?と錯覚
乳児院では小学校に上がる前の幼児達が生活しています。年齢ごとに部屋がわかれていました。乳児室から隣に1歳児・2歳児・・・部屋が隣にいけばいくほど、子どもの数は増えています。
一瞬見た感じだと、保育園と錯覚します。各部屋に10人以上の幼児がいるのです。日本でも比較的穏やかな地域の石川県でもこんなに多くの子どもに親がいない現実に胸が痛くなりました。石川県の乳児院・児童養護施設は数件です。どこも定員オーバーしていると聞かされました。調べてみると全国の児童養護施設で同じ現象が起きていることがわかりました。
児童養護施設育ちの友達
私には児童養護施設育ちの友達Aさんがいます。娘を預けた同じ施設で育ったそうです。Aさんは、赤ちゃんの時に預けられたそうです。高校を卒業するまで乳児院・児童養護施設で育ちました。
Aさんとは会社で知り合いました。とても面倒見のいい明るい人です。ですが、どこか無理をしているように私には見えました。ある時思い切って聞いてみたんです。『無理してない?』そう聞くと『なんも無理してないよ。私施設育ちだからさ~』Aさんは隠すことなくそう答えました。当時19歳の私は返す言葉が見つかりませんでした。
施設で育ったことを隠すこともなく、堂々と生きているAさんに惹かれていきました。時々お節介すぎるのもAさんの特徴で、次第に仲良くなり何でも話せるお友達になりました。
児童養護施設での生活
Yahoo!知恵袋を読んでいると、近年増えているのが『親が毒親で施設に入りたいです』という投稿です。そこで、Aさんから聞いた施設の生活を簡単に書きます。(約30年前の情報です。スマホなどの規制はわかりません。が、基本的な生活は変わっていないと、年に数回施設を訪ねるAさんから聞きました。)
集団行動の規則正しい生活です。起床、朝食、登校~下校、夕食、就寝と修学旅行を想像していただければわかりやすいと思います。高校生になると少しのお小遣いが支給されるそうです。ですが、門限までに帰宅しなければなりません。衣類などはおさがりやボランティアから支給されるそうです。施設内の掃除なども自分たちでします。上級生は下級生のお世話をします。
馴染めない子、施設育ちでいじめにあっている子もいたそうです。Aさんは明るい人でした。ポジティブで『自由は制限されるけど、みんな同じだし大家族のようなもの』と話していました。
親がいる有難さを感じてほしい
『毒親』という言葉が生まれたのはいつからでしょうか?過干渉・無関心・ネグレクト。子どもによって捉え方は違います。自分の親を『毒親』と言い、自ら児童相談所へ連絡している子・施設での生活を望んでいる子は増え続けています。もちろん、中には本当に保護が必要な子もいます。ですが、そうではない子が多いのも現実です。『自由がない』と言う理由だけで親から逃げようとする子どもが多くみられます。
求める『自由』は人それぞれでしょうが、逃げてばかりでは本当の自由を手に入れることはできません。自分で稼ぎ自立できるようになるまでは、家庭の中で社会へ出るモラルやマナーを学んでいるのだと思ってください。
衣食住が整った環境にあることは当たり前ではない!
衣・食・住のうち、あなたなら何を削りますか?
3兄妹の末っ子の私が削られたのは、【衣】=衣類です。高校卒業までは、兄のおさがりや親戚のお姉さんのおさがりを着て育ちました。安室奈美恵さんが一世を風靡していた時代。高校の同級生は皆、流行のブーツを履き、コートを着ていました。今では見なくなった、ルーズソックスを履いていました。しかし私には無縁。ブーツもコートを買うお金もありません。一度だけ、コートをねだってみましたが、中学時代から私服で着ていた綿がつぶれたジャケットをそのまま着るように言われました。『ルーズソックス?なんじゃそりゃ』と笑い飛ばされて終わりです。3足1,000円の靴下さえ自由に買うことができない家庭。
それでも、寝る場所がありご飯を食べられることは有り難いことでした。不満を言えばキリがないですが、
【みんな持っているから】で与えてくれる親がいるのであれば、自分は恵まれていると思ってください。この世で【当たり前】はないことを今の平成~令和生まれの子ども達&育てている親たちに知ってほしいです。