二女を出産後、産後うつと診断されました。そして、乳児院に一時保護されました。今回は、その経緯をお話しします。
生後2カ月で産後うつと診断
前記事に書いたように、二女を出産後産後うつになりました。何度も保健センターに助けを求める電話をし、生後2ヶ月後半ごろ保健師さんに付き添われて心療内科を受診しました。そこで診断されたのが【産後うつ】。抗うつ薬と軽い眠剤を処方され帰ってきました。しかし、薬の効果が出るまで2週間。飲み始めは酷い吐き気に襲われ、飲んだり飲まなかったりの繰り返し。良くなる傾向は一向に見られませんでした。そしてついに・・・
二女は乳児院へ一時保護
日中は娘を抱きながら『誰か助けて!』と叫ぶ私。赤ちゃんの泣き声を聞くことに限界を迎えた私は、クッションで赤ちゃんの顔をふさいでしまいました。大きく泣く娘の声にハッとし強く娘を抱きしめます。その状態で保健センターに連絡。事の経緯を話すと、すぐに保健師さんが来てくれました。そして、児童相談所に連絡することを告げられ、娘は一時保護になりました。児童相談所の方と一緒に、一時保護の乳児院へ・・・
薄情だと思われるかもしれませんが、この時ホッとした気持ちになりました。ひと通りの説明と娘の健康状態を隣接する病院で見ていただき1時間後。娘と離れることになりました。帰宅する車の中でただ泣くことしかできなかった私。帰り際に『迎えに来てくれるの待ってますね』児童相談所の方の、その言葉だけが頭に残っています。
預けること、助けを求めることは罪ではない
娘を乳児院に預けて2日後からは、一日中寝ていました。長女を学校に送り出す以外にできることはありません。体が鉛のように重く、やらなければいけない事はわかっていても眠くて眠くて起きられないのです。これが【鬱】症状だと知るのはもう少し後のことです。
二女を乳児院に預けたことは、旦那さん・長女・私の両親以外知りません。旦那さんの家庭は外見を気にするタイプ。話してほしいとお願いしても、ひたすら隠し通す旦那さん。『赤ちゃんを見たい。差し入れをしたい。』という義両親からの申し入れも『ゆ~ちゃんの状態が不安定だから連絡しないで!』とシャットアウト。
隠すことで私は逆に追い詰められていきました。人に言えない悪いことをしている感覚に陥っていきました。旦那さん、義両親の言葉が私の心をどんどん追いつめていきました。
そんな時、赤ちゃんに会えない義両親は強硬手段に出たのです。『お披露目もかねて家族で食事会をする!』焦った旦那さんは児童相談所へ電話をする様に言いました。児童相談所からの返答は『家に帰すことはできません』。乳児院・児童相談所へ電話をし何度も説明をしました。そして、『特例ですよ。2時間だけ外出を許可します。』2時間・・・乳児院からの距離を考えると滞在時間は1時間ほど。諦めるように説得するも、決行しようとする旦那さん。そこまでして守りたい体裁って何だったんでしょうか?
自己都合では解除されない
ドタバタと終わった食事会の後に言われたのが、『もう大丈夫だろ。家に帰してもらおう。』え!は?何言っているの?まだ体も動かないのに・・・
しかし、絶対君主制の我が家。翌日、改めて児童相談所へ連絡すると『すぐに家に帰すことはできません。』との返答でした。そうです、簡易的な預かり場所ではなく、保護の場所なのです。『体調が戻り次第、週一から面会に行ってください。面会を重ね、様子を見ながら相談しましょう』児童相談所からそう告げられました。その事を旦那さんに話すと、翌日から毎日乳児院に行くように告げられました。
従うしかなかった・・・
絶対君主制の我が家では、従うしかなかった。重い体を起こし、運転に注意しながら乳児院に向かう。はじめは10分くらいの面会です。少し見ない間に重くなっています。泣いたらどうしよう・・・と初めのうちは不安がありました。
しかし不思議なもので、毎日会って抱いているうちに愛おしい感覚が戻ってきたのです。時折見せる笑顔・ちょっとグズッたりする姿さえも愛おしく思えてきました。
いよいよ外泊スタート
面会に通うようになり1カ月を過ぎるころには、一泊二日の外泊の許可がでます。『無理だったら遠慮なく連絡してくださいね』乳児院の方から言われ、週末からスタートです。長女は久しぶりに会う妹にベッタリです。ですが、私はずっと緊張していました。それでも長女のお陰で1回目は無事に乗り切ることができました。
こうして、一泊二日、二泊三日を何度も繰り返し、一時保護から二か月が過ぎたころに完全帰宅の日程が決まりました。そんなある日・・・一時帰宅中の二女の鳴き声でパニックをおこしてしまったのです。その結果、帰宅日は延期になり、完全帰宅をしたのは、一時保護から三か月後でした。この頃には二女は生後6カ月が過ぎていました。
産後うつとは・・・昭和時代で言う【育児ノイローゼ】です。誰しもがなる可能性があります。決して恥ずかしいことではありません。『母親なら当たり前』そう言う無責任な言葉で失われた命は少なくはないはずです。私の体験を読み、『母親失格』と思われた方もいると思います。ですが、これが現実です。家族の理解・協力がない家庭では、紙一重で理性を保っている人と保てなかった人の違いだと私は思っています。
プチコメント
私の話だけを書きましたが、児童相談所から旦那さんにも連絡はいきます。家での奥さんの様子、旦那さんの勤務状態、子どもを迎え入れる環境であるかの確認が何度もされます。家庭環境をしっかり調査したうえで児童相談所の方は判断します。母親・父親の意見の相違があれば、子どもを帰すことは難しいです。時には、兄姉から話を聞く事もあります。そうして、未然に命を救ってくれます。
次回・・・乳児院の現実