ゆ~ちゃんの黒歴史 Part.2

ゆ~ちゃんのひとり言ゆ~ちゃんの黒歴史

小学生時代

小学校1年生の時はとにかく体が弱かった 学校に行っても すぐに熱を出す・吐く→保健室へ

今でいう『保健室登校』をしていた
保健室にはいつからか机がひとつ置かれてた
体育はいつも見学、校外学習は行けない

そのため よく早退をしていた
あまりにも頻度が多いので親からは『仮病』扱いをされた
家族からのいたわりの言葉はなく

『気合が足りん』『ご飯を食べないから』…ここでは書けない方言での突き刺さる言葉を多く浴びせられた

看病されることもなく
ひとり部屋で寝ているだけ
親が帰ってくるのを待つ

学校から帰ってきた兄が部屋に入ってきて、文句を言いながらクラスからのプリントを渡される

あまりにも早退が続くので
当時は 担任からも仮病じゃないのか?と疑われた🥲

しかし悲劇は再びやってくる
2年生の冬・・・
大好きな祖父が亡くなった
体調不良を訴えて半年後…あっという間だった

今では考えられないだろうけど
当時は病室で付き添いができた
危篤になってから2日間
祖母と私と兄②は病室に泊まり看取ることができた

当時の私は『人の死の重さ』がわからなかった
ただ、たくさん家に人が来て
つまらないお経を延々と聞き・・・

唯一 記憶にあるのは
火葬場の骨拾いを頑なに拒否していた
その記憶だけ残っている

3年4年と成長し
学校内では多少のトラブルがあったが
6年生まで元気で活発な子に育った

今では賛否両論あるだろうが
熱血先生が多かった
授業についていけない子には
居残り勉強を行っていた

縄跳び大会が近くなると
運動が苦手な子に声をかけ
みんなで休み時間に練習した

勉強より体を動かすことが大好きな私は
この頃はケガが絶えない元気な子になった
負けず嫌いの性格もあり
体育では男子にも負けない気合だった

小学校5~6年生の頃が
一番のびのびと自分らしく生きていたと思う

ひとつ『悲しい』と思った出来事
友達からの裏切りだった…
小学校6年生になれば
男子と女子がそれぞれ異性として意識をする頃

A子ちゃんは、おませさんだった
男子と女子との対応があからさまに違ったのだ
あなたの周りにもいると思う
声が1トーン高くなる子

それを面白くないと思った一部の子たちから仲間外れにされたのだ
いつも一緒に帰っていたのに
別の道から帰り悪口を言う
それが数日続いた・・・

いつも一人で登下校していた私は
A子ちゃんがなぜ泣いているのか?
最初は理解できなかった
学校で他の友達に聞いてみると

『一人じゃなく誰かと一緒じゃないといられない子いるからね~』と言われた
私は幼い頃から一人だったから気付かなかったけど
『一人ぼっち』が苦手な子もいるんだ…と知った

その日の帰り、A子ちゃんと一緒に帰ることにした
翌日・・・学校で注目を浴びている私
ヒソヒソと同級生が私を見ている
何?何かついてる?
不思議に思いながらも授業を終え
A子ちゃんと帰ろうとすると
A子ちゃんはいつものグループと一緒に別の道から帰っていた
そして私に向かって悪口を叫んでいた

あ~なるほどね!
そこでやっと気づいた私
友達に悪口を言われるのは悲しいけれど
特に気にしなかった だって特別仲のいい友達じゃないもんw
今で言う 陰キャと陽キャなんだろう

気にしていない私にイラついたのか
どんどんエスカレートしていくグループの言動
でもここは小さな町。しかも幸か不幸か私には兄が二人いる
兄の友達がその様子を兄に話したのだ

親に話していなかった私
親から夕食時に聞かれてビックリ😯
何で知ってるの???そうだけど…
隠していたことに叱られると思ったら
親も兄も『ほっとけばそのうち飽きるだろう』
だよね~www
私の家族はそういう人たちよwww

しかしそうもいかなかった⤵⤵⤵
翌日 学年集会が開かれた
視聴覚室に集められ扉は締められ
担任+校長+数人の先生が生徒を囲んでいる

議題は『いじめについて』
一時間 先生の厳しい話を聞く
どこから?すすり泣く声も聞こえてくる
先生の話の内容はたぶん私の事だと思う
なのに 誰が泣いている???

誰が泣いていたかは察しが付く
学校から親へ連絡があったと夕食時に聞かされた

今回の『いじめ』に関しては
同級生が先生にチクったのではない!
兄の友達経由で学校に伝わったらしい

小さな町だからね~
小学校と中学校の連携も
取れているしね~
中学校には兄がいるからねw
どこか他人事に捉えていた私

それからは 先生の目も厳しくなり
無事に卒業!

余談・・・・
今では歌われない?
小学校の卒業式の歌は何を歌いましたか?
私の時代は【蛍の光】でした

次回…中学校に入学(不登校2年間)
お楽しみに~👋

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